【同じ「6畳」なのに、広さが違うって知ってました?】

「6畳の和室」と聞いたら、
どの家でもだいたい同じ広さだと思いますよね。
でも実は、畳には
・京間(本間)
・中京間
・江戸間
・団地間
など、いくつもの大きさがあります。
代表的な寸法で比べると、
京間 約955×1,910mm
中京間 約910×1,820mm
江戸間 約880×1,760mm
団地間 約850×1,700mm
同じ「6畳」でも、京間と団地間では部屋の広さにかなりの差が出ます。
では、なぜ日本にはこんなに違う畳のサイズがあるのでしょう?
その理由をたどっていくと、
単なる地域差だけではなく、
日本の「家の建て方」、さらには「検地や年貢」の歴史にまでつながっていきます。
戦国時代、土地の広さや収穫量は年貢を決める重要な基準でした。
豊臣秀吉の太閤検地では、
土地を測る基準として
「1間=6尺3寸(約1.91m)」が使われます。
この約1.91mという長さ。
実は、京間の畳の長さとほぼ同じです。
京都では、畳の大きさを基準にして、その外側に柱を立てる「畳割り」という考え方がありました。
つまり、
「畳に家を合わせる」家づくりです。
ところが江戸では、
柱と柱の間隔を先に決め、その内側に畳を納める「柱割り」が広がっていきます。
基準となる柱間は6尺。
柱の太さを差し引いた内側に畳を納めるため、京間より小さな「江戸間」が使われるようになります。
そして、この
「6尺3寸 → 6尺」
という変化には、年貢が関係したという説もあります。
実際、京都の二十一軒町では、6尺3寸の竿で測っていた土地を6尺の竿で測り直したところ、年貢高が増えたという記録が残っています。
一方で、江戸の人口増加によって、たくさんの住宅を効率よく建てる必要があったことも、江戸間が広がった背景として説明されています。
ですから、
「家康が税金を増やすために畳を小さくした」
と単純に言い切れる話ではありません。
ただ、畳の大きさをたどっていくと、
その時代の税の仕組み、土地の測り方、家の建て方、そして人々の暮らし方まで見えてくるんです。
さらに戦後。
鉄筋コンクリートの公営住宅や団地が増えると、建物に合わせて、江戸間よりさらに小さな「団地間」も登場します。
京間 → 江戸間 → 団地間。
畳一枚の大きさにも、日本人の暮らしの歴史が詰まっているんですね。
そして、ここが畳屋としてお伝えしたいところ。
「うちは江戸間だから、このサイズの畳を買えばいい」
……とは限りません。
家には、
柱のクセ、壁のゆがみ、敷居の状態などがあり、同じ部屋の中でも一枚一枚わずかに寸法が違うことがあります。
だから私たち畳屋は、
実際のお部屋を採寸して、その部屋に合わせて畳を作ります。
畳は、ただ決められたサイズの商品を敷き詰めているのではありません。
400年以上続いてきた、
いわば「オーダーメイドの床」なんです。
今度、ご自宅やご実家の和室を見たとき、
「この畳は何間なんだろう?」
「一枚一枚、本当に同じ大きさなのかな?」
そんな目で見てみると、
いつもの和室がちょっと違って見えるかもしれません😊
畳・襖・障子・網戸など、
お家のことで気になることがありましたらお気軽にご相談ください。
